ふと、ネットニュースを見ていると、
荒尾、大牟田の年配の方はご存知と思いますが
11.9は三井三池三川鉱 炭じん爆発があった日です。
1963年11月9日粉塵爆発が起きた日です
約1,400人が被災し、死者458名、一酸化中毒839名
戦後最大の労災被害があったのです。
クライアントさんに実際仕事をしていたっていう方がいらっしゃるので
気になったので、本日少し掘り下げたいと思います。
経験していないのでなんとも言えませんが
昔の大牟田・荒尾はどうだったのか
昭和の頃(1959)は、大牟田、荒尾は人口が今の倍近くいたらしいです。
驚きですね!!今はどこでも人口減、悲しいことです。
現在 大牟田11.74万人 荒尾5.36万人 (17.1万人)
過去 大牟田20.88万人 荒尾6.89万人 (27.77万人)
炭鉱が賑やかだったときは、闇市というのがあって
荒尾の四ツ山神社ぐらいから大牟田の大正町までビッシリと
市場みたいな作りで毎日賑わいが凄かったらしいです。
想像がつきません笑
できればその賑わいを体験したい。
人口以上に期間工や出稼ぎで来ている人達が多かったらしいので
想像をはるかに超える賑わいでしょうね。(羨ましい)
炭坑では地層が日本でも有数の良質な炭石が取れたらしく
みんな誇りを持って仕事をしては呑んでドンチャン騒ぎをしてたっぽい。
素敵なことですよね。
がまだして、がまだした分は腹一杯使う
今の日本に欠けてるものです。
話は戻りますが、
炭鉱の中は、当時石炭より水の排出量がかなり多く
狭い空間でサウナ状態で過酷な状況だったらしいです。
特に体調を崩し、熱中症になるひとが多く
熱中症に一度なってしまうとクセになるらしく
その人達は他の仕事などに配置転換させられたそう。
時代が代わり
海外から石炭が格安で手に入るようになってからは
コスト削減のため人員を切る、その後大規模なストライキなどもあり、
激動の時に不運な事故が起きました。
坑内で作業している中
トロッコで石炭を運んでいるとき、トロッコの連結が外れ
地層に掘り進んでいるため坂になっているので
どんどんと下り落ちていき石炭が粉塵となり
トロッコの線路部分がカーブで火花を出し大爆発が引き起こされ
戦後最大の大事故に繋がる。
昔の様には、難しくても
何か起爆剤ができ人口が増えると
発展がついてくると信じてみたい
今日この頃です。
ご冥福をお祈り致します。